なぜ私は新海誠に呪われているのか
こんにちは。突然ですが私、新海誠作品が好きなんです。
映画を観るたび「新海誠っぽい」か「新海誠っぽくないか」の二極で測ろうとするくらい好きです。
新海誠作品が刺さりすぎて、彼の作品に呪われ囚われてしまった人間。
それが私です。
2022年11月11日、新海誠の新作が公開します。
タイトルは『すずめの戸締まり』
新海オタクとしては、待っていましたと興奮おさまらない毎日を過ごしています。
なぜ私はそんなに新海誠作品が好きなのか。
言い換えると、なぜ私はこの監督の作品に取り憑かれ、呪われてしまっているのか。
この記念すべきこの年に、それを言語化しておこうと思います。
私が考える、新海誠作品のもつ素晴らしさ、味わい方。そして新海誠ファンにしか見えないセカイを知ってもらえればいいかな。と思います。
目次
新海誠作品と世間の評価
好きだ好きだと推し通す前に、まず世間の評判について向き合いたいと思います。
毎度、賛否分かれる監督として名前が挙がるのは認識しています。
よく言われるのは以下の点でしょうか。
- 絵が綺麗
- セカイ系
- 童貞くさい
- RADWINPSのMV
- 気持ち悪い
- 監督のフェチが凄い
- 童貞くさい
・・・まぁそのとおりです。私も同感です。
新海作品を語るにあたって、この辺りの批評に対しては真摯に受け入れなくてはならない。だってこれらは全て真実だから。
本当に童貞臭くて未熟な若者たちのセカイを描いてきたと思います。
これに対して「イヤイヤそれは違くて~」なんて真っ向から戦う姿勢はありません。
これらの要素は良くも悪くも真実です。
監督が一人で小規模な作品を作っていた時からこの要素が、一部に熱狂的にウケて、面倒なファンを増やしたのでしょう。
これは、時代に合わせて改善していかなくてはならない部分も多くはらんでいる。
特に、童貞主人公のドギマギを際立たせる為のギャグとして、女の子や女性キャラのいわゆる”ちょっとエッチ”な描写を加えるのはもう見るのも厳しい。
この点に関しては先日、新海監督のスペース配信を聞いた。
ご自身も、今の時代に合わせて改善しようという意識はある発言をされていた。
でも世間が求める新海誠作品像との折り合いの付け方を悩んでいるようだ。
全然違うところの話ではあるが、エドガー・ライト監督が、男同士の悪ノリ映画を作り続けてきた歴史があって、近年「ラストナイト・イン・ソーホー」を撮った様に、なにか自身を変えようという意識を持っている。様な気がする。
次回作「すずめの戸締まり」がどういう描写をするのか見守りたいと思うところです。
新海作品の描くもの
では、自分なりに新海作品についてまとめてみる。
新海誠作品の好きなところ。絵が綺麗。
これはほんとにそう。特に光に対してのこだわりは人一倍強いだろう。
「秒速5センチメートル」では印象的な桜ゆらめく眩しいくらいの思い出の景色。
「言の葉の庭」では梅雨の新宿御苑。照り返す環境色まで計算しつくされた描写。
「君の名は。」での日本最高峰の自然と都市描写。
絵のクオリティについては、使っているソフトや揃えているスタッフの力量による所もあるだろう。
特に「言の葉の庭」での御苑シーンは素晴らしかった。
周囲の木々の緑や雨上がりの日差しが照り返し、人物の輪郭にも現れている。
その綺麗な絵で何を描いてきたか。ここが重要だ。
新海誠監督が描いてきた綺麗なもの、それは、東京の日常への愛だろう。
特記して、個人的にここが良い。と思っている点を凝縮したシーンとして「秒速5センチメートル」を挙げたい。
秒速のクライマックス。
「One more time,One more chance」が流れる中、映し出される日常のモザイク。
なんの変哲もない東京の景色。
登場人物も映らない街角の一角が次々に映し出される。
例えば歌詞で言うと終盤のここ。
いつでも捜しているよ どっかに君の欠片を
旅先の店 新聞の隅
こんなとこにあるはずもないのに
”新聞の隅”あたりで映るのがこのショットです。
1秒も映し出されない日常の切り抜き達。そこに差し込まれる道端に落ちている空缶。
これらのシーンを見た時、監督の感性が好きになった。
そこにあるゴミが、こんなにも輝いて見える瞬間がある。
監督の考える「美しいもの」がこの切り抜きに凝縮されている気がして、素晴らしいと思った。
この感性をもって、日常を素晴らしい世界に変換する技を持つ人だ。
だから見慣れた新宿、近所の踏切や階段。普段住む都市が魅力的にスクリーンに映るのだ。
新海誠作品の登場人物が戦うもの
この記事内で童貞という単語をつかいますが、以下の意味と定義したいと思います。
”精神的に未熟で、特に異性に対して空回りして勝手に悩み、何かに取り憑かれている人”
恋人がいようが、歳を重ねていようが、性別に関係なく、後天的に発症する人もいます。
特有の青臭さ・カッコ悪さ・正しくなさ、これを兼ね備えた超人。
それが新海作品の主人公であることが多い。
これは意識的にそういう設定にしているはずだ。
男の描写に関して気持ち悪いと批評がされる。それはわかっているのだ。
正しくない主人公に好感を持てないのは真っ当だ。
前述したが、それを際立たせるためのスケベ描写(「君の名は。」「天気の子」でも顕著だった。)がある。
10年前ならまだ苦笑いで済ませられたかもしれないが、主人公のキャラ立てや、単なるギャグの為に女子側にその一端を担わせる点は良くない。
この点は是正してもらいたいところ。
そんなのなくても監督の味は滲み出るのだから。
話を童貞に戻す。
そんな童貞を主人公に据える意味は何なのか?
それを観る私との関係。
ここが新海作品にとらわれてしまう核心だと考えている。
精神的に未熟な主人公には、さらに物語上の試練が降りかかる。
戦争、並行宇宙、転校、死、立場、時間、社会
物理的・精神的・社会的な分断。主人公にとっては太刀打ちしようがないような大きな壁だ。つまり彼らの敵は<運命>だ。
どうしようもなくすれ違ってしまう悲劇と、それに酔って嘆く”僕"。
悲劇の主人公気取りの”僕”は、思いつきの行動に繋がり、事態はより悪くなる。
そして、新海誠作品の主人公たちは間違いながらも戦うことを選ぶ。
宇宙の果てに赴いていようが、
遠く離れた地で学生生活を過ごそうが、
夢の中で入れ替わるだけの関係だろうが、
社会や行政が一緒に過ごす事を拒もうが、
それは結果的に実を結ばないかもしれない。
でも、そんな事は関係ないのだ。
彼らが大切な何かに対して、向き合い、結論をだそうとするプロセスこそが醍醐味なんだ。
必死に汗かいて走りまわる。そんな姿に私はどうしようもなく応援したくなる。
新海誠という"鏡"から逃げるな
間違いを犯し続けていく主人公達が、足掻くプロセスをどんな気持ちで見守るのか。
そこに乗れるか乗れないかが、新海作品評価の分かれ目になるのだろう。
観客の代弁者たる作中の大人たちも冷ややかだ。
「天気の子」内で繰り返し主人公に対して身近な大人が言う台詞がある。
『オトナになれよ、少年』
誰しも、今まで自身に降りかかる理不尽に対して、ある所で折り合いをつけ、妥協という名の下に諦める事をしてきた筈だ。
「かっこ悪い」「無理だよ」「子供みたい」「それは間違っている」
そんな言い訳をしながら、だんだんオトナになってきた。
誰もがみんな、かつては童貞だったのだ。
新海作品の主人公は、常に何かに取り憑かれて呪われている。
オトナになることを拒絶する。どの作品の主人公も、その運命に立ち向かおうとする。
その姿は他人からみれば、社会からみれば、セカイからみれば、彼らの行動は間違っている様に見える。だって我々はオトナだから。
そんな主人公を描けるということは、モデルは監督ご自身の経験なかもしれない。
過去の自分を自虐して、間違った存在として主人公を描く。
そして自覚的に晒し上げた上で、監督独特のあの優しい語り口で、こう言われている気がする。
駄目で間違う彼らだけど、それでも、信じるモノの為にあんなに頑張っているじゃないか。
正しくなさも未熟さも間違いがあっても、後悔を捨てたその先にあるものを一緒に見に行こうよ。
だって彼らは、僕であり君だから。
そう。そのとおりだ。
間違っていて、根拠の無い自信で動く主人公の覚悟を見た時に、いつもこう声をかけたくなる。
俺にはできなかった。だからお前は頑張れ。
彼らの足掻いた先に何があるのか。
それを見届けるために、私は新海誠から逃げてはならないのだ。
新海誠のかけた呪い
まとめようと思います。結論としては以下の通り。
立場、社会、空間も時間も隔たる二人。一緒に過ごすことはセカイが許さない。
そんな何かに囚われてしまった主人公が、不格好に間違えながら足掻く。
そして最後には、呪いが解け、魂が救済される。
あなたは、彼らのように闘ったことはありますか?
これが新海誠の問いかけであり、作品の醍醐味であり、新海オタにかけられる呪いであると思います。
なんて事をしてくれたんだ。
以上です。ありがとうございました。
ちなみに各作品の私の感想集。どいつも文字数多い。
最新作「すずめの戸締まり」2022年11月11日公開。たのしみですね。
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【おまけ】新海オタにだけ見えるセカイ
ここからは余談ですが「新海誠に囚われた人にしか見えないセカイ」というのがあると思うのです。
さっきも書きましたが、新海誠作品の肝。
立場、社会、空間も時間も隔たる二人。一緒に過ごすことはセカイが許さない。
そんな何かに囚われてしまった主人公が、不格好に間違えながら足掻く。
そして最後には、呪いが解け、魂が救済される。
この要素があると、とたんにセンサーが働く。
冒頭でも言ったように、新海誠作品っぽい。と最近感じた3作品とその要素を最後に共有したい。それで、なるほど~となれば、まとめた かい がある。
その1:インターステラー
いわずもがな、クリストファー・ノーランの超傑作SF。
覚えていますか、劇中こんな台詞がありました。
アン・ハサウェイ演じるアメリア博士がこう言います。
「何十年も会ってない人を求めて宇宙を超えてさまよってる。その人はおそらく死んでるのに。愛は感知できる。愛は時空を超えるのよ。」
うーんこれは・・・まちがいなく新海。
てか2002年にこれと全く同じテーマを扱った作品「ほしのこえ」がある。
たったひとりで作り上げた新海誠。最高だよ。
その2:デミアン・チャゼル監督作品
どれもこれも、執着し合った2人のセカイを描き、ラストにむけての音楽的な盛り上がり。そして魂が救済されるエンディング。まさに新海手法。
ほろほろ泣いてしまう。
秒速5センチメートル苦手な人に、ラ・ラ・ランド好き?あれと同じだよね!と言っても受け入れてくれながち。
(ちなみに秒速5センチメートルもラ・ラ・ランドも、超ハッピーエンドだと思っています。この件はまた別途まとめてみたい)
その3:レミニセンス
水没した街。記憶をたどり、かつて愛した謎の美女を追い求める。
史上、もっとも恋に盲目でメソメソしているヒュー・ジャックマンが見れる。
こちら、アフター・天気の子 。完全に新海誠案件でした。本当にありがとうございます。
ラスト、まさに隔たる二人の思いが繋がる名シーンがある。完全に新海誠作品です。
はい、以上です。
お付き合いいただきありがとうございました。