「すずめの戸締まり」それは新海誠にとって”あの踏切”だった

ついに公開されましたね。

新海誠監督 最新作
「すずめの戸締まり」

2022年11月11日(金)公開初日にレイトショーでみてきました。

 

鑑賞直前の私

鑑賞直後の私


胸を張って言える。

新海誠が、自分の能力を正しく使った、最高傑作だと思った。

主人公を童貞じゃなくすると何も残らないと思ってたけど、とんでもない。
過去作品含め、一番真っ当で真摯な作品だと思った。

 

ネタバレありで感想を書きます。物語についてというよりも、新海誠という監督について思った事を記します。

新海オタが何を思ったのか。それはタイトルにある通りです。お付き合いください。

 

これまでにない爽やかさで紡ぐロードムービー

17歳の女子高生すずめを主人公に据えて、日本を旅しながら様々な出会いをして、助けられながら先へ進む。
いわゆる、行きて帰りし物語だ。

出会う人達は皆いい人だ。助け合い、抱擁をして別れるのは女性たち。
同年代の女子高生チカスナックのママで2児の母であるルミ、そして、管理職として活躍する母代わりの叔母タマキ
彼女らと出会い、生活に触れ、旅の装備を受け継ぎつつ日本を北上していく。

これまでの男児のモヤモヤしたモノローグや、鬱屈した青臭さなど微塵も感じない。
閉塞感のある2022年現在とは対照的な、明るく楽しい。変に鬱屈しない、やりすぎとも言えるストレートな台詞と演出だ。

終盤、タマキさんとの衝突を経てからの、自転車ニケツで語り合うシーンでは、新海作品を通じて今までにない涙が出た。
汗をかいて、同じ方向を向いて、本音は否定せず、それでも家族として受け容れあう2人の関係を描いただけでも、過去作とは一線を画している。

 

ずっと監督が抱えてきたテーマ

そして、旅の終焉地。こんなにも直球で311に触れるとは思わなかった。
別に触れてはいけないテーマではない。しかし、あえて触れるには相当な覚悟がいるテーマだ。

考えてみれば「君の名は。」も「天気の子」も根底には災害をテーマにしてきていた。
劇中で"12年前"というキーワードや、ロードムービーとして北上していく過程を見ている時に予感はあった。
それが確信に変わっていく瞬間にはどうしても胸がざわついた。

 

突拍子もなく、現実離れしている様にも見えたすずめの行動。死ぬのは怖くないと断言する理由。
それも腑に落ちる。彼女が子供の頃から思っていた信念、いや、妄念か。
人はいつでも死ぬかもしれない。たまたま運が良かっただけだからと、迷いなく言う。震災を経験した彼女の諦めだ。

自身のトラウマの地へ赴き、あの時の自分と向き合う。これ以上ない恐ろしい、想像もできない、深刻な展開だ。

 

このテーマに正面で描くからには、何を意図して今作を作ったのか正しく明確に伝えないとならない。
最近の考察中毒者や解説大好き配信者に変な方向での話題にされてしまうから。
入場特典の不自然にも思える監督の意図を晒す理由は、そこにあった気がする。

 

はたして新海誠は商業ウケに屈したのか?

すずめの戸締まりの感想でよく目にした問いかけがある。

 

”これまで青臭い童貞物語を描いてきた新海誠は、ついにその作風を捨てたのか?”

 

私はその通りとも思うし、全然そんなことは無いとも思う。
信念は何も変わっていない。向き先が変わったのだ。

前の記事にも書いたが、新海作品がずっと描いてきたもの。
大雑把に言えばそれは

「何か囚われてしまった主人公が、不格好に間違えながら足掻き、そして最後には、呪いが解け、魂が救済される。」

だと思っている。

dorapan-1.hatenablog.com

 

監督は、間違ってしまう不格好な者たちへ”祝福”や”許し”や"労い"を作品を通じて与えてきた。

それは何も変わっていない。その向き先が変わったのだ。

 

すずめの戸締まりで、草太とのセカイ系的な展開や、常世で子すずめが出会った人の正体なんかは、まぁ映画ファンからすればどこかで観た予想できるものだった。
しかしそこで、すずめが過去の自分へかける輝かしい言葉たちを思い出す。

「わたしは、すずめの明日」

「あなたは皆に見守られ大人になっていく」

「未来は大丈夫」

そしてラストシーン、すべてを終え扉を閉じるすずめが、きちんと口に出してはっきり言う。

「行ってきます」

 

すずめが、これまでずっと抱えてきた、死ぬことへのある種の諦めや達観。
そこから脱して、明日を生きていく事への渇望を手に入れた最後だった。

 

まさしく呪いが解かれ、解放された瞬間だ。

 

今を生きる人たちに向けて、何の比喩もなく、照れもなく、力強い希望のメッセージがこめられている。
目の肥えた映画ファンや、アニメオタクからすると、語りすぎと言われるかもしれないい。
でも、カッコつけず、憶測を挟む余地をなくし、真っすぐにこの言葉を語ることに重要な意味がある筈だ。

 

これまでの新海作品は、この救済を過去に向けていたと思う。

今までは、在りし日の監督自身、つまりは私のような童貞臭さを知る苦い青春を過ごしてきた者たちへ。
本作では、今を生きる若者、それに留まらず、未来にむかう全ての人たちへ。

 

監督のまなざしが、過去から未来へ。自分から他者へ。
セカイから世界へ。変わったのだ。

 

わたしはこの光景を観たことがある。あなたもある筈だ。

 

 

 

 

 

"あの踏切"だ。

 

あの桜が舞う線路。そこから前を向きなおし、爽やかな表情で前に歩き出す主人公。
秒速5センチメートルの感動的なラストシーン。

これと同じだ。

 

新海誠監督が、囚われていた過去と別れを告げ、未来にまなざしを向けたのだと思った。

 

こんなに感動的で、重要で、決定的な映画であるのに、誰が批判できようか。

踏切の向こう側に思いをはせていた人間が、爽やかに踏み出した。
何もぶれていない。何も捨てていない。新海誠監督の世界へのまなざしは、より明るく遠い未来を求めている。

 

とても真摯で、真っ当な映画のその先へ

まぁ新海誠に許しを求めていた童貞にしてみたら、肩透かしもいいところだろう。

すずめの戸締まりを観て、自分は救済対象では無かったと悟り、ナンカ オモッテ イタノト チガウ。忖度シヤガッテ!と言いたくなるのはとってもよく分かる。

でも新海誠は、決して自分を曲げて作風を変えた訳ではない。呪いを解く力を、正しく使う方法をついに見出したのだ。
ただし、セカイには別れを告げてしまった。私はセカイ系も好きだったが、比重としてはやはり魂が救われる物語が好きだ。

 

先日Twitterのスペースで友人と話したとき、監督には中学生になる娘さんがいるという話を聞いた。
だから今コロナで閉塞感のある若者へ、明るい作品をつくったのだろうと。
それも相まって、このまなざしの変化にもしっくりきた。

 

日本でトップレベルで注目される監督となってしまい、自身の作品がもたらしてしまう影響も自覚した上で出した答えだ。

大いなる力には大いなる責任が・・・ではないが、これは真っ当で、真摯で、誠実だと思うのです。

 

これが、私が「すずめの戸締まり」を観て興奮の中、一週間熟成させた感想だ。

バイアスがかかっている事は重々承知している。視野が狭くなっていて危ういと感じてもいる。

いくら監督や男性である私が、スケベ描写が軽減されて襟を正したと思っても、女性からみてやっぱりキモいままだったら、ただの自己満だし。
この絶賛記事自体もキモい新海誠オタクムーブであることは自覚しているし。

 

でも今は、この公開されて1週間は、やはり新海誠監督の新たな旅立ちに拍手を送りたいと思うのです。

また3年後くらいして、新海誠の新作が観られる日を心から楽しみしています。

 

以上です。

 

追伸:重複するところも多いですが、物語についても書いた感想

filmarks.com